音楽の表現方法が決まった日
はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
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その日、その時、僕はドイツのライプツィヒに向かう満員電車の中に居た。
電車の外は酷く暑い夏空が広がっていて、町には工事中のビル群が鉄骨をむき出しにして並んでいた。
僕はドイツの一人旅に憔悴しきっていた。
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一週間会社を休んで出かけたこの旅には理由があった。
それは一曲のピアノ曲だった。
ヨハン・セバスチャン・バッハがオルガン曲として作曲し、フランツ・リストがピアノ用に編曲した曲である。
僕は当時バッハが好きで、この曲がどうしても弾きたくて、先生について習っていたのだが、ある本を読んだ時に、次のようなことが書かれていて、その言葉に悩まされることとなった。
「音楽は、作曲された当時の楽器で演奏されなければ、その本質を見出すことはできない」
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バッハの時代にはまだ今のようなピアノがほとんどなく、チェンバロという弦をひっかく楽器だったり、パイプオルガンなどが使われていた。それらの楽器では、今のピアノのように、ペダルで音を伸ばしたり、繊細に強弱をつけることもできなかった。
僕は現代の楽器であるピアノで、当時の曲をどのように表現すれば良いのかに悩まされてしまい、それこそまったく弾けなくなってしまったのである。
今思えば「真面目過ぎるでしょう」の一言で終わる事かも知れないが、当時は本当に悩みに悩んでしまったのだ。
その結果、「バッハが生きていた場所に行くしかない」という単純な結論に至った。
バッハが実際に音楽に携わった土地や教会を調べ、1週間会社を休み、宿を予約した。彼が生まれたアイゼナッハから、亡くなったライプツィヒまでの旅である。
ドイツの旅というと、「美しい古城や街を巡り、おいしいビールや料理を食べ、芸術や文化に触れる」ということになるのだろうが、僕の旅には「バッハ」以外の目的はなかった。
ライプツィヒ、ワイマール以外のバッハ所縁の街や村はとてもこじんまりとしていて、観光地と呼べるような場所ではない。どの土地にもバッハの像が置かれ、建物の看板に、バッハがそこに居たことが書かれてはいるが、バッハ愛好家でなければあまり訪れないのではないだろうか。
多くの人々はドイツ語で話しており、英語も通じないことがあった。その都度、僕は小さなドイツ語の辞書を開いて、ドイツ語に訳して短い会話をした。日本人もほとんど見かけなかった。
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もちろん、バッハの住んでいた家や、実際に使っていた楽器を見たり、街を自由に散策する事は楽しかった。ケーテン城内の小川のほとりで寝そべりながら空を眺めてみたり、ワイマールの街中でビールを飲みながらジャズの生演奏を聴いたり、今思い返せば素敵な思い出もたくさんある。しかしながらこの旅は全体的にとても「疲れる」旅だった。
僕はヘッドホンで「マタイ受難曲」や「フーガの技法」「無伴奏」など、バッハの曲を聴きながら、彼が勤めた教会を巡り、旅の目的である、「バッハの曲を演奏するための何かのヒント」を探した。
が、そんなヒントは一つも見つかることなく、旅は終盤にさしかかった。バッハが亡くなるまで音楽家として従事したトーマス教会のあるライプツィヒに向かう電車内でその出来事は起こった。
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平日の日中だったため、満員の車内には、会社帰りのサラリーマンや学生が多く、皆ドイツ語で大声で話していた。携帯電話で話している人もいた。僕の頭の中にはそれらの理解不能のドイツ語が充満し、それまでの旅の疲れも高じて、立ち眩みのような感覚に襲われた。
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僕はたまらなくなり、隣のボックス席の車両に移った。そこもほとんど満席だったが、会話がなく静かだった。
ふと目を向けたボックス席には、男女4人の若者が向かい合って座り、笑顔で楽しそうに話していた。座席の横には折りたたんだ自転車が置かれていた。
その景色を見ていた僕は、何故か不思議な事に、彼らの会話を全て頭の中で理解していた。「風が気持ちよかったね」「並木道の木々が素敵だったね」とか、そんな内容だ。
その会話はとても素敵だった。彼らの笑顔は美しく、生き生きとしていた。
と次の瞬間、彼らが声を発していないことに気が付いた。彼らは明らかに、手と表情を使って会話をしている・・・。彼らは耳の聞こえない、もしくは言葉が話せない人達だった。
僕は泣いていた。
そしてとても嬉しかった。なぜなら、その瞬間、
「表現方法が違っても、強い気持ちがあればものごとは人に伝わる」という事に気づかされたからである。
彼らの会話は見ているだけで楽しかった。お互いが素晴らしい思い出を共有したいという気持ちが強かったのだろう。
この事があってから、残りのドイツの旅は心が晴れて楽しくてしょうがなかった。
そして帰国してから今まで、音楽の表現に対する認識は変わっていない。
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今僕はジャズバンドでピアノを弾いたり、作曲をしたりしている。楽器は生楽器だけではなく、電子の音も使う。コロナ禍で人前で演奏する機会は減ったが、ピアノに向き合う時、アドリブを取る時、作曲をしている時、思う。
「気持ちがあれば伝わるはずだ」と。
それはどんな楽器であっても、歌であっても、ダンスであっても、絵であっても、スピーチであっても、小説であっても、手話であっても、「表現」という事であれば同じ事かもしれない。
一週間のドイツ旅行はこの日、予期せぬ答えを僕にプレゼントしてくれた。
因みにドイツから帰国してからは、ピアノの練習も楽しむことが出来、発表会でこの曲を演奏した。
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今ここにそのバッハ(リスト編曲)の楽譜がある。当時日本になかったため、ドイツから輸入したものだ。素敵な楽譜だ。テープで補強したりしている・・・。
パラパラとめくりながら中身を見てみた。
演奏するスピードや音の強弱や表現について様々な指定がされている。バッハではなく、リストが記載したものだろう。
しかし、この曲は「どの楽器で演奏すべきか」とはどこにも指定がない。当然のことだけど。
リストとバッハがこの楽譜を前に、会話をしている姿を想像してみよう。
きっと二人とも笑顔のはずだ。
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