気ままな音楽猫がゆく♪

ジャズ、演奏、作曲、自然、家族、ライフスタイル♪

日本の音楽教育やその他学びについて諸々思う事

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僕は幼いころからクラシックピアノを習わされていたが、ソナチネやブルグミュラー、バイエルなんかを演奏しなくてはならないのが嫌で嫌でたまらなかった。

小学生2~3年生になった時、先生が変わり、今までの厳しいおばさまではなく、若い音大生の美しい女性だった。

彼女は僕があまり乗り気でないことに気付き、「〇〇君の好きな曲を弾こうよ」と笑顔で言ってくれた。僕は宇宙戦艦ヤマトを弾くこととなった。その先生はとにかく優しくて素敵だった。

先生が弾くピアノに合わせてリズムをとって体を動かすと、うまくできたね、とハイタッチをしてくれたり・・・。とにかく僕は惚れてしまった。当然である。僕には3歳年上の兄がいるが、彼も当時ピアノを習っており、彼女に惚れていたようだ。

その先生がある日突然結婚することとなり、レッスンを続けられなくなった。

僕と兄は失恋した・・・。

そしてこれを機にピアノを弾くのはもうやめよう、と決意するのである。

あれから兄はピアノを続け、音楽の学校に進学し、ミュージシャンになった。

僕はというと、高校の授業で「愛情物語」という映画をみたことがきっかけで、その主題歌であったショパンノクターンを弾き始め、結局その後はジャズにはまることとなった。

社会人になってからは、クラシックを習いながら、ジャズバンドで演奏したりと、両方の音楽を楽しんできた。今はジャズと作曲にはまっている。

子どもがピアノを始めるとき、僕が思うに、それは音楽を始めることと同じ場合が多い。であれば、ピアノを嫌いになることは音楽を嫌いになることであるし、ピアノが好きになれば、音楽が好きになる。

なにもバイエルやハノンやショパンモーツアルトベートーヴェンだけでなくてもいいと思うし、ジャズであっても、ポップスであっても、シンセであっても、なんでもよいと思うのだ。

僕が一時的にピアノをやめることとなり、そして再開するに至ったのは、先述の美しい先生のおかげだった。あの時は音楽が本当に楽しい、と思った。あの感じでもう一度練習できないかな・・・と。

これからの時代に生きていく子供達に是非やってほしいものは、楽器はなんだっていい(ピアノは理論が可視化されていてわかりやすいからとても良いが)、”自由な即興”と”作曲”だ。

そのためにジャズは有効である。ジャズは数学的に様々な理論体系があって、それらが頭に入っていないとなかなかできない、というイメージもあるが、正直な話、そういうのが邪魔する事も多い。

つまり、バリバリの理論重視の大人のジャズよりも、理論を理解できていない子どもが自由に弾くジャズ(即興)の方がめちゃくちゃ面白い、ということだってあると推測できる。

一つ疑問なのは、日本ではどうしてこれほど西欧のクラシック文化を教えていくのだろうか、ということ。有用ではあるだろうけど、行き過ぎた西欧化だよな、と。

雅楽”なんかから初めても面白い音楽性が身につくのではないだろうか?貴族の音楽は民衆には伝わらないだろうか?

西洋のそれは神様の作った世界を体系的に整理して音に表現するという出発で、日本のそれは、地面から沸き起こるような、もしくは人から湧き上がる感謝の感情をかなり自由な音運びで表現している感じがする。つまり天と地という別の方向からの熱量なのだと思う。

僕が今作曲やジャズのアドリブ内で探求しているのは、ジャズと雅楽の融合に、自分らしいスパイス(語法)を加えること。

「Jumping Japanese FOX」という曲は実験的にこれらを融合させてみたもの。

youtu.be

子どもたちに始めてほしい音楽とは何か。

ピアノを弾くのであれば、僕は、まずは楽器にたわむれて自由に音を楽しむ、という事をスタートとして、理論や指の練習を一旦飛ばしても良いから、即興で何かを表現する、もしくは誰かと即興で会話をする、なんてのが良いと思う。

これは、去年だったか、大友良英さんのワークショップに参加して感銘を受けたこともきっかけになっている。一人の指揮者がいくつかのサイン(一本の指を振り下げたら全員で一斉に弾く、誰かを指さしたら、その人だけ弾くなどなど)を使って完全にその場の思い付きで曲をみんなで作っていくというもの。

今後小学校や中学校にこの即興演奏が入っていくかと思われるが、当然先生が理解していなければ、子供には伝わらないし、できない。だいたいにおいて、正解を求める、はみ出さないための今の日本教育に”自分のやりたいようにはみだせ”という授業はなかなか難しいと思う・・・。

前提が違う事が認識される必要がある。※僕自身は即興が学校教育に入る事は大いに賛成である。しかしながら、その目的や背景の共有が最も大切だと思っている。

家庭でも出来る事がある。ピアノが家にある場合は、子どもに「バイエルを練習しなさい」というだけでなく、たまには、「猫の寝ている姿を弾いてみて」とか「それを曲にしてみて」とか言ってみるなんてどうだろう?

そしてその「猫の鳴き声を弾いてみて」とか、「猫が走っていくよ、どんな感じ」とか、それだけで小さな子供は結構面白い演奏をするものだ・・・。しかも両手で。

うちの8歳の娘はなんとなく自由に弾くことが出来るようになってきているが、4歳の娘の方が面白い演奏をする。小学校に通い始めると、学童なんかでほかの子の弾いてる楽譜を覚えてくるし、自慢にもなるから、流行っている曲を弾くのが楽しくなるのだろう。

僕はアート(特に即興、ジャズ、雅楽、作曲、絵やものづくりなど)を中心とした、誰でも利用できるような開疎(安宅和人さんの言葉で、コロナに対してスペースが広く、人の密度が低いということ)で気持ちのよいアトリエ、演奏場を将来つくりたいと思っている。子供達の習っていて楽しい音楽。そして、その中で、恐らく”ひらめき”や、”ともにつくる”姿勢、”自分の主張と相手を聴く”姿勢なんかは勝手に身につくだろうと思う。

こういうことはこれからの世界を生きる上でとても重要に思う。

上記のアートに加えて、色々な学びの場を学校以外の場所に設けて、例えば「習い事の物々交換」といって、AさんがBさんのお子さんにピアノを教えるから、BさんはAさんの子どもにバレエをおしえてあげる、みたいなものができると面白いかな、なんて考えている。

また、世の中でいろいろと起こっている事の本質というか仕組みというか、そういう部分も学んでほしい。これは大人も同じ。学校で教わらなかった事だから。

そのためには、まずは資本主義や共産主義がどうだとか、SDGsがどうだとか、原発が、戦争が、LGBTが、学歴社会は、日本の政治は・・・いろいろあるけど、難しい話はいったんおいといて、、、。

子どもたちが自分の地域で、例えば大きな祭りを実行するとか、何かを決定していくプロセスを自分たち自身で最初から最後までやることなんかも良いと思う。

生活に近い政治決定プロセスを体感できるし、知らぬうちに民主主義的決定プロセスをとっていたりして面白いんじゃないかな、と思う。

そしてその先には、地域の生活をどうするか、困っている人をどう助けるか、協力しあって街をよくするためには、という意思決定過程にも子どもに入ってもらう。

そうしていくと、その先にSDGsやら高度経済成長による資本主義の限界などの問題が理解できるようになるはず。

例えば学校でSDGsを勉強すると、SDGsとは、17の目標があってその目標を穴埋めしなさい、みたいなことになってしまう。SDGsの出来上がった歴史的背景、動機、目的はなんなのか、またESG投資により、SDGsが企業に表面的に謳われて、結果目標を達成できないことだってある、ということも、子どもたちにも考えてほしい。

そいういう二段階、三段階掘り下げた知識や知恵を身に着けて、大人にまかせておけない、と言い切る子供達が育ってくれるとうれしいな、と思う。

もちろんおじいちゃんが学生におしえたり、学生が小学生に教えたり、世代間交流もとても良いと思う。

こういう場所が地方創生の中でしっかりとしたしくみで成り立っていけば、町の魅力に一役買うことは間違いないと思っている。

いつか北海道の土地でそんな場所ができたらなあ、と思っている。

いつになるかわかりませんが、そんなことができたらお伝えします・・・。

 

 

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